「お父さん、平氏と平家は違うの?」 日曜日の夜、NHK大河ドラマを見ている時、娘からとっても良い質問が飛び出しました。 ここは、「日本史のとば」の出番とばかりにうんちくを一くさり。 まあ、途中から娘は聞いている振りしながら無視していましたが ・・・・・。
「平氏」 ・・・ 桓武天皇から「平姓」を貰ったひ孫の高望王(平高望)を祖とする「平姓」の子孫(=桓武平氏)を指す。 勿論、平清盛もその一人。 北条氏や三浦・和田・梶原氏なども「平氏」を名乗る平氏の一族。
「平家」 ・・・ 伊勢発祥の平清盛一族を指す。 清盛は「平」の姓しか持たない平氏で、そのため平氏の本流を自負する。 これが災いして、他の平姓を持つ平氏、例えば北条氏などから恨まれる。 北条氏は源平合戦では源氏側に付き、源頼朝に北条政子を嫁がせ幕府を開かせ、その後、これを乗っ取り北条政権を確立する。
つまり、北条氏等は、平氏ではあるが平家ではない。 「源平合戦」とは、「平氏」の姓にまつわる平氏一族の内輪もめに、源氏が上手く使われたとの説もあります。 よく考えれば、「平家の世」は保元・平次の乱から壇ノ浦の合戦までのたった30年弱しかなかった訳ですが、その後も鎌倉幕府滅亡まで「平氏の世」は続いていた訳で、源氏もその間のあだ花みたいな存在です。
平家終焉の地、野洲市大篠原。 国道8号線脇のこの地で、壇ノ浦の戦いで捉えられた平清盛の三男宗盛とその息子清宗は、源義経によって斬首されます。 胴体はこの地に埋葬され、首は京都へ持ち込まれました。 これが、宗盛・清宗の胴塚(写真)です。 寂れた地の小さな塚ですので訪れる人も少ないのですが、正に有名な歴史的な場所、「平家終焉の地」です。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響き有り。 奢れる平氏久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」 確かに無情の感あり。 合掌。
平家の歴史に直球勝負。

