妓王・妓女

※※※1月30日(月)市内調査活動(1件)※※※

 作日は野洲市観光物産協会の方々とお出合いして、野洲の観光振興について様々な意見を交換させて頂きました。 妓王寺では、観光協会の平中さん(写真右)と金家(左)のお二人から、本当に親切丁寧な説明を受けました。 笑顔の素敵なガイドをありがとうございました。

観光協会のお二人

妓王の生涯に感動

  野洲市(江部荘:現在の中北・永原・北)で 生まれた「妓王」は京都で白拍子となり、平清盛の寵愛を受けていました。 ある時、清盛から望みを聞かれた妓王は、故郷の江部荘が水不足で苦しんでいることから、野洲川から江部荘を通り琵琶湖まで延長約12kmの水路を掘ってもらいました。 この水路のお陰で田畑は潤い、近江の米どころとなりました。

妓王寺正門

 村民達は感謝の気持ちを込めて、この水路を「祇王井川」と名付けました。 その後800年経った今でも、この水路には野洲市の重要な農業用水が流れています。 現在でも年一度、野洲川の取水口に各自治会長が集まり感謝祭が開催されています。 また、毎年8月25日には、妓王を祀る妓王寺で法要が営まれるなど、現在でも歴史的な偉人として妓王は野洲市民の敬意を集めています。

祇王井川

 清盛と妓王のレリーフ

 しかし、清盛の寵愛を受けた妓王も、若き白拍子「仏御前」の出現により出家の身となり、京都嵯峨野の草の庵に居を移します。 その後、仏御前も出家し、妓王・(妹)妓女・(母)とじの四人で仏道に励むという人生を送ります。                                「萌え出るも 枯るるも同じ 野辺の草、 いづれか秋に 逢わで果つべき」 

 境内の供養塔

  皆さん、是非、野洲へおいでやす

 妓王の生涯に直球勝負