二番だし考

※※※1月29日(日)朝起き会演壇※※※

 去る、1月23日の本ブログで「コロンブスの卵」論を引き合いに出し、「創見」(独創的・先駆的行動)の重要性を書きましたら、早速ニックネーム : ランホウと言う方から、「二番では駄目でしょうか?」との反論を頂きました。 

 曰く、「誰かが既にやったことのある事を真似るのは『二番煎じ』などと見下されるが、『学ぶ』とは『真似る』に通じることであり、『二番煎じ』とは大切な学びの第一歩です。」 全くもってごもっともです。 かつて、私も同じ事を言いながら生徒や選手達の指導にあたっていました。 確かに優秀な生徒や上手な選手は、真似ることが得意な者が多くいました。 その上で、指導者を追い越し、個性を発揮した強者が多くいました。

 「二番煎じ」と言うと語弊がありますので、料理で言うところの「二番だし」 で説明すると分かり易いかも知れません。 昆布や鰹節の持つ旨味や風味を瞬間的に引き出す「一番だし」に対して、「二番だし」は、一番だしに残った旨味を弱火でじっくりと取り出すのが重要な役割です。

 必ずしも一番のみが良いとは限りません。 登山家、深田久弥は著書「日本百名山」の中で我が国第二の高峰(標高3,192m)である「北岳」を、次の様に表現しています。 「北岳は、我が国第二の高峰にも関わらず、あまり知られていない。 それは、この山が謙虚だからである。 いつも前山(富士山)の後ろに慎ましく、しかし、凜とした気概をもって立っている、奥ゆかしい山である。」

 より良い人間性を養い、より高い知性を修得するために、今以上の高処を目指すならば、敢えて自らを「下」に置いて更に歩を進める謙虚な姿勢が必要だという教えでしょうか。  「二番煎じ」に甘んじることなく、「二番だしの旨味」を活かす精神の尊さを説いたものでしょうか。   北岳がいつも秀麗な姿の富士山を望んでいるように、常に謙虚に明日を目指す姿の大切さを考えさせられました。

 明日をめざし直球勝負。