大阪遷都構想

※※※12月26日(月)対話の会幹事会※※※

 近所の郵便局の前を通り過ぎた時、年賀状を出す人々の長蛇の列ができており、いよいよ慌ただしさが増します。

 さて、大阪では府と市の統合「府市合わせ」を目指して、橋下大阪市長が八面六臂の行動、中央政府をも動かすスピード感のある改革を行っています。 「大阪都構想」の実現は、ハードルは高いものの実現しそうに思えます。 何より、政治に対する実行力が違います。

 今日は、高校の日本史で習った知識の受け売りです。 幕末、徳川幕府から新政府への政権交替に伴う政治機能を大阪に移す大阪遷都構想が、江戸遷都より先にあったという裏話です。 明治維新までの倒幕運動の中で、京都を中心とする大いくさで、京都が壊滅した場合、新政府機能を大阪に移すという将来構想の一貫です。

 当時の倒幕派(新政府側)の大方は、大阪遷都支持で一致していましたが、公家と京都市民が猛反対して大激論が巻き起こりました。 これを調停していたのが大久保利通で、天皇の安全を大義として、都を大阪に移すことを主張していました。 大政復古の直後、大阪遷都案は具体化しましたが、「都が移る」という事は、公家や京都人には驚天動地の出来事であり大反対でした。

 倒幕成立後の新政府の中でも、大論争となりますが、大久保の私邸に投函された一通の投書により、この論議に終止符が打たれます。 この趣旨は、大阪遷都にかかる資金調達面(財政)、関東・東北武士の反乱抑止面(治安)、今後の洋上貿易面(外交)からの江戸遷都論でした。 これにより、急転直下、江戸遷都が決まり、天皇は江戸城に移り、江戸は東京(つまり東の京)と改名され、東京遷都が実現しました。

 何を隠そう、この江戸遷都案の投書を行ったのが、前島密だったというお話です。 前島密は、日本の近代郵便制度の創設者で、「郵便」、「切手」、「葉書」などの言葉を作り、一円切手の肖像にもなった人物です。 今日、郵便局の前を通った時、ふと、高校時代の日本史の先生の熱い講義「大阪遷都」と橋下大阪市長の「大阪都構想」が妙にだぶりました。

しがらみのない政治に直球勝負。