雑草にも名前

※※※ 11月23日(水) 勤労感謝の日記念朝起会、新嘗祭 ※※※

 ある新聞紙のコラム欄で、「植物学的には、雑草という草はない。」という記事を読み、とても興味深く思い、早速辞書を引いてみました。 

 「雑草」を三省堂の「新明解国語辞典」で引くと、「自然に生えたいろいろな草」、「生命力の強いことの例え」との解説に加え、「(自分の)知識が乏しいために名前を言うことができない、多くの草」とありました。 雑草に名前が無いのではなく、多くの雑草に価値を見いだせない奢れる者の無知による思いやりのなさを戒める意味でしょうか。 心にぐさりときました。

 ややもすると、私達は弱い立場や目立たない人に対し、無意識の内に無視したり、切り捨てたりしがちです。 意識を持ち、じっくりと注意深く観察しますと、雑草にも様々な種類や違いがあることや蟻も忙しそうにしていることを知るのと同じように、思いがけないことに気がつくことがあります。

 子ども達も同じです。 よちよち歩きの子も、小学生も、中学生もそれぞれに個性豊かです。 高校生ともなると、個人差は髪型や洋服などの外見だけでなく、行動や意志に至るまで千差万別です。 しかし、この様に広く皆さんの目に止まることもなく、個性を発輝することも出きず、それでも一生懸命生きる子ども達もいます。 弱いどころか、助けてと声も上げられない子ども達もたくさんおられる事を、私達は知る必要があります。

 昨日、県内の養護学校の保護者や先生方の組織、「スマイルの会」の皆さんが陳情に来られました。 障がいを持つ子供達の中でも、更に送迎バスにおいて医療的ケアの必要な子ども達の登校手段についての要望です。 飛んだり、跳ねたり、読んだり、けんかしたり、甘えたり、そんな事すらできない小さな命の権利を守ること。 どの子も皆と同じようきちんと名前のある人間として、より良く生きる権利があります。 どの位の事が自分にできるのかすら分かりませんが、少なくとも、名もない草を丁寧に観察するような丁寧で細心の心で取り組んで行く必要性を感じました。

  雑草として片付けられることの多い草に、シソ科の垣通(カキドオシ)という草があります。   この原稿のまとめに「垣通」と入力しようとしたら、間違えて「書通し」となってしまいました。    確かに最近は、書きっ放しの毎日です。 一日くらいブログを休んだ方が良いのかも。

 障がいを持つ子供達の人権に直球勝負。