京滋は関西遺産

※※※1月31日(木)※※※

先日、朝日新聞社の女性記者さんから「勝手に関西遺産」というコラムの取材を受けました。

その記事が、本日1月31日付の朝日新聞(夕刊)に掲載されました。

私達は当たり前の様に「京滋」=(けいじ・けいし)という言葉を使いますが、記者さんの鋭い感性は、この言葉に関西遺産を感じるのだそうです。 

~ ~ ~ ~ ~ ~ 以下、掲載記事から一部抜粋

圧倒的世界ブランド、京都のお隣にある滋賀県。その宿命なのか。一筋縄ではいかない関係があります。

京都と滋賀をひとくくりにした名称。読み方は、知ってますか?

京都と滋賀は、府県庁所在地が電車で10分の近さ。唯一無二の関係だ。だからって「京滋」とまとめます? 読み方は「けいじ」。じ、じ、けいじですよ!

阪神や京阪、京浜など、都市を結ぶ時に1文字を並べるが、京滋は府県同士。京滋バイパスは有名だが、始点は大津市。東海や山陰といったまとまり感もない。そんな京滋を探った。

大津県から滋賀県へと改称したのは1872(明治5)年。

県政史料室で、明治元年から昭和20年まで「京滋」の表示がある公文書を検索してもらったところ16件あり、「京滋」「京滋岐愛」(京都・滋賀・岐阜・愛知)知事など、宛先や差出人として並べて使うケースがほとんどだ。

「歴史的に言い表された言葉ではなく、便宜上のもの」と担当者。

一方、明治末期からの鉄道発達の流れで、京津(けいしん)電車(現・京阪京津線)が誕生するなど、京都と大津を表す「京津」が主流だった。公文書には「京津防空演習」など324件あった。

でも、京津だと滋賀県内の他市が何か言ってきそうだ。実際、明治と昭和に2度、県庁の彦根移転案が持ち上がった。「大津は西端で不便」「京都が近すぎて、独自の発展ができない」といった理由だ。

現在、滋賀県立大は彦根、京都拠点の立命館大のキャンパスは草津。観光では近江八幡や長浜が有名だ。とても、京津では収まらない。

京都側が気にしているかどうかはともかく、「京滋」に並々ならぬ思いを抱く人がいる。

それを象徴するのが高校野球。夏の大会で代表が1県1校になったのは60回(1978年)から。以前は京滋大会で、滋賀は強豪ぞろいの京都に勝たなければ甲子園に行けなかった。

記念大会で1県1校だった年を除き、最後の京滋大会となった54回(72年)までに滋賀勢が京都を負かして夏の出場を果たしたのは、前身の京津大会を含めて4度だけ。

最後の京滋大会で西舞鶴高校を破り、甲子園の土を踏んだのが膳所(ぜぜ)高校だ。当時の主将で現県議の冨波(とば)義明さん(64)は「京滋大会は最後の壁。滋賀球児からすると、途方もなく大きかった」と振り返る。

その後、京都は単独で代表を出すことになり、滋賀は1県1校になるまで福井と「福滋大会」で戦ったが、夏の出場はできなかった。

時を経て、「滋京(じけい)」という言い方で推すのがバスケットボールBリーグのプロチーム、滋賀レイクスターズ。京都ハンナリーズとの対戦を「滋京ダービー」と呼び、今シーズンから本格的に普及にのり出している。

西村大介社長(41)は京大アメフト部監督をへて昨年10月、レイクスターズのトップに就いた。京都時代は気にも留めなかったお隣さん。「過ごしやすいし、人は圧倒的に滋賀がいい。改宗した感じです」

京都府知事時代に「京滋合併」を唱えた山田啓二・京都産業大教授(64)

京都と滋賀は、生活も経済も実質的に一体化しています。一緒の方が効率がいい。道州制の話の中で京滋州という考え方がありました。

州都が経済的に栄えている場所だと一極集中が進むだけ。新しい発展の仕方として本庁は大津で、ブランドである京都の名前は残す。都道府県が今後のあり方を議論する際の選択肢の一つです。 ~ ~ ~

京滋は関西遺産に直球勝負。