外見で判断する愚

※※※1月22日(火)※※※

先日、我が家の願い寺の新年会が開催された際、僧侶の法衣姿での自動車運転についての話題で盛り上がりました。

この問題の発端は、昨年9月、福井県内で40歳代の男性僧侶が僧衣を着て車を運転したことを理由に、同県警に交通反則切符(青切符)を切られていたことでした。

反則切符の根拠は、県の規則が「運転操作に支障がある衣服」での運転を禁じているためです。

私の知っている僧侶の多くは日常的に僧衣で運転していますし、この僧侶も「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否しているそうです。

警察官は、僧侶が着ていた僧衣の袖や裾が運転に支障があると判断したものと考えられていますが、県警交通指導課は「僧衣がすべて違反ではなく、状況による」と説明していますが、基準は明確ではない様です。

そこで、思い浮かんだのは、とんちの一休禅師のこのお話です。 ある日、一休さんはお金持ちの法要に招かれます。 

ボロを身にまとって門前に立つと、ここの主人から叩き出されますが、ピカピカの法衣で門に立つと恭しくもてなされます。

そこで、一休さんは法衣を脱ぎ、この主人に言います。「供物はこの法衣にあげるが良い。 愚僧が頂く筋合いはない」

外見で人を判断するものではない」との戒めです。 今回の福井県警の判断や如何に。

外見判断の愚に直球勝負。