高校野球の審判哲学

※※※7月19日(水)※※※

昨日の続きで、「高校野球のボークと審判」について書きます。

1998年の第80回全国高校野球選手権大会、豊田大谷(愛知)対宇部商(山口)戦は、延長15回、宇部商2年生エースのボークで豊田大谷がサヨナラ勝ちしました。

延長15回裏、200球を超える球を投げてきた宇部商の2年生エースは、この場面でプレート板に足をかけセットに入る姿勢のまま右手をグラブから離しました。

これは、塁に走者がいる時に投手がしてはいけない行為である「投手が投球動作を中断した場合」に該当しますので、主審は迷わず「ボーク」を宣告し、サヨナラゲームとなりました。

試合直後、このジャッジを下した審判に対して、観客や報道陣から「なんであんなところでボークを取るんだ、注意で終わらせられないのか」といった声も聞かれました。

私もこの試合を観ていましたが、とても複雑な心境になりましたし、宇部商の2年生エースには残酷な気もしました。

試合終了時は野手のグラブに送球や打球が収まりますが、この試合は、宇部商投手の手にボールが握られたままでした。

通常、甲子園の暗黙のルールとして、このウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将にプレゼントされます。

ボークを犯した宇部商投手が、手に握っていたボールを球審に渡そうとした時、球審は、「このボールは君が持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と受け取らず、勝った豊田大谷には予備用の試合球を手渡しました。

どれほど残酷な結果であろうと、血の通ったルールの番人があればこそ、球児は球場で躍動するのです。

高校野球の審判哲学に直球勝負。