私と夏の高校野球

※※※7月26日(水)※※※

今日は、大津市皇子山球場で第99回全校高校野球選手権滋賀大会の決勝戦が行われ、見事に彦根東高校が優勝を果たされました。 おめでとうございます。

いよいよ来年は記念すべき第100回大会ですが、今から40数年前、私も熱い熱い湖国球児でした。

私の高校3年間の成績は、1年生の第52回県大会で準優勝(右翼手・7番)、2年生の第53回県大会でベスト4(捕手・5番)、3年生の第54回県大会・京滋大会で優勝(主将・捕手・1番)でした。

第54回大会開会式(先頭が私)

この3年生の第54回大会は、54年間続いた京都と滋賀の代表校による京滋決勝戦である「京滋大会」の最後の年となりましたが優勝を飾ることができ、第54回全国高校野球選手権大会に出場することができました。

この時、私が受け取った京滋大会の大優勝旗は、54回中51回を京都勢が受け取りましたが、最後は滋賀県勢の取り切りとなり、今でも膳所高校に大切に保管されています。

京滋大会優勝旗授与

第54回全国高校野球選手権大会の開会式は8月11日、私の誕生日は8月12日です。 何とか自分の誕生日に試合をしたいと思いましたが、抽選結果は開会式当日の第2試合でした。

しかし、8月11日当日は史上初、雨中の開会式となり、この日は開会式のみを行い、試合は翌12日に延期されることとなり、私の18歳の誕生日は甲子園球場で迎えることとなりました。 しかし、試合は、広陵高校(広島)に大敗を喫しました。

甲子園での打撃 

その後、滋賀県教員となり、1977年~1980年(瀬田工高:第52回選抜甲子園大会出場)、1981年~1995年(膳所高)、1996年~1998年(石部高)、2002年~2010年(八幡商高:第76・77回選抜高校野球大会、第88回選手権大会)と永らくで高校野球に携わりました。

甲子園でのノック 

私の人生を振り返ってみる時、今更ながら自分と高校野球の関わりの大きさ・深さを感じます。

彦根東高校ナインの甲子園での活躍を心から期待しています。

高校野球に直球勝負。