平家終焉の地は、壇ノ浦ではなく野洲市大篠原!! 野洲市大篠原にある平宗盛の胴塚(墓)の前で833回忌法要が執り行われました。
平宗盛は平清盛の三男で、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ入水するも死に切れず捕らわれます。
その後、源義経により、鎌倉の源頼朝の下へ連れて行かれますが、頼朝の命により再び京へと戻されます。
その京を目前にしたこの地で、嫡男の平清宗と共に首をはねられ、首だけが京の六条河原に晒され、胴体だけがここに埋められたとされています。
京の手前なら、草津でも、瀬田でも良いのに、何故、野洲なのでしょうか?
実は、この地の至近距離に義経が元服した「鏡」と言う在所があります。 また、宗盛の父である清盛が愛した白拍子「妓王」が晩年を過ごした「妓王寺」もあります。
義経もまた、頼朝との確執や一族への想いもあったのではないでしょうか? それだけに、敵の大将であっても、宗盛・清宗親子を前にした義経の心情は如何ばかりであったでしょうか。
宗盛、清宗親子の命をこの地で召し上げた義経の想いに目頭が熱くなりました。
今日は遠くは関東方面からも沢山の歴女の皆さん参列されました。 皆さんも是非、平家終焉の地「野洲市」へお越しください。
平家終焉の地に直球勝負。