夏目漱石の生涯から

※※※5月12日(金)※※※

明治・大正期を代表する文豪、「夏目漱石」の本名は「夏目金之助」で、「漱石」という名は、正岡子規から譲り受けたペンネームだったことはよく知られています。

「漱石」とは、中国唐代の「晋書」の故事「漱石枕流(そうせきちんりゅう)=  石に漱(くちすすぎ)流れに枕す」から取ったもので、真意は「負け惜しみ強く頑固なこと」です。

子規が「漱石」名を夏目金之助に譲ったのは、当然、夏目金之助が人一倍負けず嫌いであったからだといわれています。

①中学で英語を教えていた時、生徒から「先生の訳語は辞書に載っていない」と指摘されたところ、「辞書が間違い、辞書を訂正しておくように」と言い放った。

②東京大学で教鞭をとっていた時、ポケットに手を入れて授業を受けている学生を叱ったら、その生徒は片腕がなかった。 一応詫びを入れたが、「私も無い知恵を絞って授業をしているのだから、君もない腕を出したらどうだ」と負け惜しみの一言を付け加えた。

③東京大学の講義で、何度も予習をしてくる様に言い付けていた一人の学生に、「勉強をする気がないのなら授業に出てくるな」と叱ったところ、その学生が華厳の滝で身投げ自殺した。

この事件は大きな社会問題となり、漱石もひどく狼狽し、神経衰弱を起こした。

しかし、この一件からの漱石の活躍は花々しく、「吾輩は猫」、「坊ちゃん」などを発表し人気作家となると、一切の教職を辞し、東京朝日新聞に入社します。

そして、「三四郎」、「それから」、「こころ」などの作品を発表しますが、胃潰瘍を患い生死の境目をさまよいながら、49歳の若さで亡くなります。

今日、私が言いたいことは、①人格形成の必要性、②職業適性の重要性、③人生転機の偶然性です。

職業に対する適正より、勉強ができたら医者や弁護士、教員になったと言う時代は遠い昔のことではなく、今も学力偏重、学歴重視の社会は続いています。

その中で、患者や相談者、児童生徒は傷付き、事件が発生しています。 今朝の新聞を読んでいて、つくづく思った次第です。

漱石の生涯に直球勝負。