大人の責任

※※※5月11日(木)※※※

モラルハザード」という言葉があります。 直訳すると「倫理観の欠如」、「道徳的危機」となります。

最近の子供達の様子を見て、「モラルハザード」の低下を嘆く声も聞かれますが、子供達は社会での立ち振る舞いや公衆道徳を知らない(大人にも目立ちますが)だけで、これは、我々大人の責任でもあります。

モラルハザードの低下は、子供ではなく我々大人の責任の問題で、子供達の生き生きとした行動を大切にしながら、上手に子供達に教えてやる大人の心配りが必要でしょう。

先日、ある新聞に掲載されていた年配読者からの次の様な投稿がありました。 その内容は、エレベータに乗り込んできた女子学生の傍若無人な振る舞いについてです。

「廻りに多くの乗客がいるにもかかわらず、大声で話しながら乗り込んできた女子学生に対して、我慢ならずにきつく注意したところとても気まずい雰囲気になった。

しかし、この女子学生達はエレベータを降りる時に、自分たちの非礼をきちんと詫びた。 社会の大人が先ず、姿勢を正し、子供達にきちんと教えなければならない事、言うべきことの大切さを、改めて知った。」というものでした。

私も、先日同じようなことを経験しただけに、思わず頷きました。 私の場合は、野洲駅でのことです。

電車に乗ろうと急いで駅のホームに上がったところ、券売機の前に中学生の長蛇の列があり通行を阻んでいました。 他の乗客も前へ進めません。

私は教員経験もありますので、「おーい、僕達、他の皆さんの邪魔になるから通り道を空けて。」と言いながら無事電車に乗ることができました。

でも、よく考えると、彼らは中学生の体育大会の帰りで、その切符を1人ひとりが買っていたんです。 先ず、ここが問題です。

少なくともこういう場合、引率教員が団体券を購入して、集団で行動させるべきです。 それができない場合でも、生徒達に公の施設である駅での行動に対する注意と指導をすべきです。

それが、この様な場合における教員の重要な仕事です。 この様なケースは、正に、教員の指導ができていないことに起因した子供たちのモラルハザードの欠如です。

大人が注意しておけば、防げたという典型的な実例です。 しかし、最近は「大人のモラルハザードの低いこと限りなし」です。

大人のモラルハザードに直球勝負。