WHO(世界保健機構)が、マラリアで苦しむアフリカの村に大勢の医者を送り込み、徹底的にマラリアを撲滅した結果その村にはマラリア患者がいなくなりました。
しかし、10数年後に、その村は消滅しました。 マラリアで死ぬ人がいなくなった結果、村の人口が急増し、村の耕地ではその人口を養えなくなり、村は全滅したというお話です。
また、米国のヨセミテ公園では鹿を増やそうとして、鹿の敵であるピューマやコヨーテ、オオカミを殺してしまいました。
その結果、鹿は急増し、増殖した鹿は土地の草木を食べ尽くし、食物不足に陥りバタバタと死んで行きました。
あるものにとっての天敵や障害を取り除いたり、撲滅することは素晴らしいことですが、あるものにとっての悪を無くした結果、全体の善も滅びてゆくことはよくあることです。
つまり、「ミクロの世界が持つ価値観が、そのままマクロの世界に通用するとは限らない」との例えです。
日本全体の経済状況を見た時、公務員給与は民間と比べてまだまだ高いとか、身分が保障されている分をもっと削減しろと言う意見が、さも正論であるかのように叫ばれていました。
その結果、確かに県財政に占める職員の給与は大幅に削減され、県財政にとって一時的には効果がありました。
しかし、この様に正当な交渉権を剥奪されるような職場環境を作ったり、正当な報酬を貰えなくすれば、必ずや公共団体の公務員を志す者は減少するでしょう。
かくして、県職員の士気は著しく低下し、県民サービスは悪化し、公共性は失われ、県民は税金に見合う正当な権利を無くしてしまいます。 正に、アフリカの村人、公園の鹿と同じ運命です。
ミクロの観点からの論理を振り回さずに、大所高所から冷静に客観的に判断し、マクロの観点から物事を定めて行く見識と行動力がなければ政治と言えません。
一つの状況にヒステリックに反応するだけでは、政治家とは言えません。 「法に則り、利に則り、情に則る政治」、けだし名言です。
正義ある政治に直球勝負。