桜と日本の精神文化

※※※3月26日(日)※※※

去る21日に東京で桜の開花宣言されましたが、例年この時期を迎えると「桜を主題にした歌」が盛んに紹介されます。

ひさかたの 光のどけき春の日に しず心なく 花の散るらん」(紀友則)、「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月の頃」(本居宣長)、「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」(西行法師)などです。

日本人にとって「」は 特殊な存在で、特別な地位を占める花です。 桜の開花のすばらしさだけでなく、散りゆくはかなさや潔さもまた、日本人の精神性と相俟って讃えられてきました。

一気に咲き、満開時に潔く散る風情は、正に諸行無常であり、人の人生そのものというのが、その理由でしょう。

しかし、日本人と桜は、何故こんなに近しいものとなったのでしょうか。 一説によると、桜は日本人の稲作に起因しているそうです。

つまり、四季のはっきりしている我が国では、田んぼに種もみを蒔くことが大変に重要で、早すぎても、遅すぎてもダメでした。 そこで、このタイミングを測るために桜の開花が使われたという説です。

それ故、桜の木は田んぼの近くに植えられ、次第に田んぼの神とされ、豊作祈願の象徴とされてゆきました。 ちなみに、桜の」は神様を意味しくら」は神様の座る場所を表わすそうです。

水稲の国、日本では「さくら」はただの花ではなく、正に日本人の生活と一心同体です。 国花ではありませんが、事実上は国花の様に扱われている事も、又、無理からぬことです。

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俺の酒とかけて、歌舞伎の『義経千本桜』と解く。 その心は、「静かに、ただ飲む」(「静か」とは、義経の愛妾「静御前」、「ただ飲む」とは、家臣「佐藤忠信」のこと。)

桜の文化に直球勝負。