無心の闘鶏たれ

※※※1月22日(日)※※※

1939年1月15日(日)、69連勝をしていた横綱:双葉山の連勝記録が止まりました。

この敗戦直後に双葉山が知人に宛てた電文は、「イマダ モッケイ タリエズ(未だ、木鶏たり得ず)」でした。

木鶏とは、木彫りの鶏のことで、敵を前にしてもまるで木彫りの鶏の様に同じず、無心である闘鶏のことです。 双葉山にして、この言葉。 流石、大横綱です。

さて、昨日の大相撲、大関:稀勢の里が苦節15年目にして初優勝を飾りました。  稀勢の里も、かつて平幕時代に白鳳の63連勝を阻止した関取です。

あのふてぶてしい表情からは想像もできませんでしたが、インタビューの最中に稀勢の里の右目から一粒の涙が流れました。 思わず、私も涙ぐんでしまいました。

その最大のライバルである横綱:白鳳は、「強い横綱がいたから、今の自分ある」と最上級の祝いを述べました。 この言葉にも、目頭が熱くなりました。

あらゆる格闘技の中でも、相撲が最も厳しい世界だと言われます。 その中で、横綱を張ると言うことはホント大変なことですが、稀勢の里も初優勝で横綱が現実のものとなりつつあります。

稀勢の里のふてぶてし表情が、木鶏の如き表情になった時、19年ぶりの日本人横綱としての活躍が大いに期待できるのではないでしょうか。 頑張れ、稀勢の里関。

日本人横綱に直球勝負。