私は歴史上の人物の「辞世の句」を暗記することが趣味ですが、その中で最も好きな、記憶に残る一首が、尊皇の志士の先駆け的存在である吉田松陰の辞世の句です。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも、 留め置かまし 大和魂」
1959年、徳川幕府の大老、井伊直弼による「安政の大獄」によりが処刑されました。 享年29歳、余りにも若い命でした。
いかにも私の好きそうな句ですが、これを詠む直前の句の方が、実は心に残ってます。
「呼び出しの 声待つ他に 今の世に、 待つべき事の なかりけるかな」(呼び出しとは、死刑執行の通知です。)
幕末の雄である長州藩のエリートとして育ちながら、全てを捨てて脱藩・密航を企ててまでも、やり遂げようと燃えていた日々が、今は死を待つだけの時間。
テレビでは、アメリカ大統領選挙の勝利者、トランプ氏への反対運動が流れていますが、これを見ながら松陰を思い出したのはなぜなのでしょうか?
「安政の大獄」を行った井伊大老は、水戸藩士により江戸城桜田門外で斬殺されますが、アメリカ版「桜田門の変」起こるような気がしたからなのでしょうか。
憎悪の連鎖に直球勝負。