私心無き為政者

※※※10月8日(土)※※※

日本において、民主主義に基づく様々な選挙では、有権者(国民)が為政者を選びます。 これが、「国民主権」と言われる由縁です。

万が一にも、「私心を持つ」為政者が、有権者(国民)を我欲の方向に持って行くために、恣意的に有権者や選挙をコントロールするようなことがあってはなりません。

例えば、「私心を持つ」為政者が、権者(国民)の ①欲を誘発するような行為を行ったり、②誤った情報を伝えたり、③情報を隠したりして、有権者(国民)の情報をコントロールをする事です。

この様な状況下では、有権者(国民)が自分で判断できず、自分の投票行動を他人の判断に委ねる行動が横行し、国民主権の選挙はできません。

そもそも、「村型選挙」と言われる、日本の選挙は、この様な状況下で行われてきたのではなでしょうか? 最近、つくづくそう思えてなりません。

歴史を振り返ると、「私心なき為政者」が、「私心を持つ為政者」に翻弄され、有権者(国民)が誘導され、世論が間違った方向に舵を切り、最終的には多くの国民の命が失われてきたのです。

さて、現在行われている国政や地方政治の場で、本当に正しい情報が、有権者(国民)に与えられているのでしょうか。

この度行われる野洲市長選挙においては、正しい情報により、公明正大に実施されることを心から祈ります。

為政者に求められている責任、それは、私心なく国(県・市)民を想って行動することだと思いますので・・・・・。

私心無き為政者に直球勝負。