当時は貧しかった肥後国を豊にし、難攻不落の名城・熊本城を築いた戦国武将、加藤清正は、名君としての誉れ高い人物だと聞き及びます。
清正公というと、「虎退治」や「賤ヶ岳七本槍」といた武勇伝で有名ですが、人格をを伝える逸話も多く残されています。
例えば、豊臣秀吉の遺児・秀頼への忠誠や家臣・領民への寛大な処置など、数々の治政上の逸話があります。
黒田家の家訓には、「奉公の道、油断すべからず。 朝、寅の刻(午前4時)に起きて、兵法を遣い」で始まる、文武精励、質素倹約など7箇条がしたためてあります。
しかし、これを単に家臣に強要するのではなく、時には手綱を緩めて臨機応変に対応したとされています。 このため、家臣や領民からとても慕われていたと習いました。
「肥後の熊本、戦さにゃ、いつも清正公。 えいとう、えいとう。 戦さも上手、商売も。 人を使うも、また、上手。 人は一代、名は末代、天晴れ武士の心かな。」
さもありなん。 1611年6月24日、関ヶ原の合戦から11年後の今日が、清正の命日とされています。
治政の心得に直球勝負。

