私達の会派は、今県議会の冒頭で「善ありし正義」について知事に質問すると共に、議員や議会の「政治の正義」の構築について主張しました。同じ様な観点から、「環境の正義」について書きます。
「環境正義」とは、環境保護と社会正義を合わせた考え方です。そして、「環境正義運動」とは、アフリカ系黒人が多い地域に有害廃棄物処理施設を集中させ、貧困層に劣悪な環境を押しつける「環境人種差別」に対する批判として、1980年代にアメリカで起こった運動です。
簡単に言うと、自分たちにとって都合の悪い物や施設を弱い立場の人々へ押しつける行為に反対する運動のことです。日本でも、産業廃棄物や原発施設を都会から離れた場所に作る問題、沖縄に米軍基地を置く問題、そして、核廃棄物を海外に持って行く問題に対する抗議行動等が、これに該当します。
大体において、環境正義に反する行為を行う者は、その心苦しさから、当該地域に「地域振興対策費」と称するお金を落として黙らせたり、お金で自分の行為を正当化します。そして、財政の苦しい地方公共団体は、安易にこれに飛びつきます。まさに、日本における原発政策そのものです。日本は今度は、日本国内で処理できない原発の核廃棄物をモンゴルに持って行く計画を実行しようとしています。これは、日本人として、見逃せない、最大の環境正義に反する行為、国家的な犯罪行為です。
今、日本中で原子力エネルギーの必要性を争点として、原発の是非が論議されていますが、私はこの論議はちょっと違うと考えています。日本の経済活動や国民生活にとって、電力、とりわけ原子力エネルギーの必要性だけが言われていますが、後始末の問題、つまり、核廃棄物の処理の問題がほとんど論議されていません。核廃棄物が未だに解決できない(不可能)のに、これを争点とせずに行う議論には異議ありです。 私達にとって必要か、不要ということ以前に、後始末のできない、極めて危険なものを作る行為の是非を争点にすべきだと思います。
産業振興や生活の豊かさを考える時に、同時に、人として他の人にしてはいけないこと、大自然の摂理に反しない行為とは、どの様なことなのかを常に自問自答したいものです。
「最小不幸社会」を掲げられた菅さん、「宰相不幸社会」と言われないためにも、「迷ったときには、原点に返る。」 こと、そして、「過ちを改むるに、はばかることなかれ。」です。
環境正義に直球勝負
