戊辰戦争については、高校の日本史で学んだ以外の事は知りませんでしたので、NHK大河ドラマ「八重の桜」で、会津藩家老・西郷頼母(さいごうたのも)と家族について学びました。
藩の重臣家老として、会津藩が京都守護職に就くことに反対、また、戊辰戦争にも反対、降伏恭順を再三進言して蟄居謹慎の身となる頼母も、会津戦争では総力戦のため狩り出されます。
頼母を城に送り出した後、妻・千重子は、母、妹、娘5人、家人2人と共に自害します。 大河ドラマでは、その場面を、皆を前にした千重子の言葉を借りてこの様に表現していました。
「会津は罪もないのに罰を受け、無念を飲み込んで、敵に恭順を示したにも関わらず、まだ足りなくて、会津を滅ぼしに来ました。」と、先ず、会津藩の正当性を訴えます。
そして、「私達は、そんな非道な力には、死んでも屈しません。 このことを、命を捨てて示すのが、西郷家の役目です。」と、家老職に就く西郷家としての意地と矜持を示します。
皆が白装束を身にまとい、詠んだとされる彼女達の辞世の句です。 男社会にあって、ひたすら運命にもてあそばれた女性や子どもの無念さが感じられて、涙せずにはいられません。
上の句を長女(16歳)、下の句を次女(13歳)が詠んだとされる合作の辞世の句、 「手をとりて 共に行なば まよわじを いざ たどらまし 死出(しで)の山路(やまみち)」
千重子(34歳) 「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け」 (細く弱々しい竹の様な我が身だが、誰にも負けぬ意志と意地があることを知って欲しい。)
西郷家の菩提寺「善龍寺」では、毎年5月1日に「奈与竹の碑」の前で、会津戦争で散った女性達の命日を弔う慰霊祭を行い、会津女性の「なよ竹の精神」を後世に伝えているそうです。
会津魂に直球勝負。



