ハードイシュー

※※※4月12日(水)会派会議※※※

 「風誘う 花よりもなお 吾はまた、春の名残を 如何に途やさん」 (浅野内匠頭:辞世の句)

県庁中庭の桜満開

 「ハードイシュー」という言葉があります。 意味は「有権者にわかりにくい政策事案」と訳されます。 大体に置いて政策は分かりにくいものです。 「社会保障一体改革を伴う消費税増税」なんて言われても、分かりにくいものです。 しかし、数ある政策の中でも「教育改革」は、分かり易いようで分かりにくい、ハードイシューの最たるものとされます。

 「教育」については、誰でも好きなことが語れるものですが、行うことはそんなに簡単なものではありません。 私は35年間に渡り高校の教員をしてましたが、この度の橋本大阪市政の教育改革とされる「教育基本条例」には、いささかどころか大いに疑義を感じています。

 そもそも、人を教育すると言うことはどういうことか。 つまり教育の「本質論」がないがしろにされたまま、教育を「競争論」で語り、教員の服務規程に関する規制ばかりが強化されています。 大阪市の教育改革でもたらされる帰結を思い描くとき、とてもじゃないがついて行けません。 教育関係の法令や制度とその実態をあまりにも知らなさすぎるとしか思えません。 

 この改革により何が起きるのかを考える時、何故、この様な人物がもてはやされる社会がうまれているのかに想いが行きます。 今、日本の社会は、政治の混乱から政治不信が生じ、カリスマ性を持つ人物の待望論が渦巻いています。 極めて危険な領域に足を踏み入れている様に感じます。 「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」 かつてのドイツがそうであったような社会状況が生まれないことを祈るばかりです。

この子達のために

教育改革に直球勝負。