100歳は通過点

※※※9月11日(火)※※※

100歳を超えても、現役のお医者さんとして活躍された日野原重明先生の思い出です。、

日野原先生は、1911年(明治44年)山口県生まれ、昨年7月18日に 105歳でお亡くなりになりました。

100歳を超えても現役の医師として医療に携わりながら、講演活動や執筆に精力的に取り組まれておられました。

聖路加国際病院理事長・同名誉院長、そして、文化勲章も受章されており、当時は、日本で最も忙しい100歳の一人と言われた人物でした。

「生活習慣病」という名称も、日野原先生によって名づけられたものです。 

3年程前、その日野原先生の講演を聞く機会に恵まれましたが、その中で一番印象に残っているのは、「人生は与えられたもの。だからこそ人や社会のために使う」という言葉です。

この人生観は、先生自身が、日本での犯罪史上初となる「ハイジャック事件」からだったと、その時にお聞きしました。

1970年3月30日、先生が福岡での内科学会に出席するために搭乗されていた旅客機「よど号」が、ハイジャックされました。

日野原先生は人質の一人となり、日本海を越え、解放されたのは韓国の金浦空港で、解放された瞬間に「これからの人生は、いわば与えられた人生。だから人のため、社会のために身を捧げよう」と決心されたそうです。

先生は、自身の「100歳の心境」を尋ねられた時、「100歳とはゴールではなく、通過点に過ぎない」と「関所」にたとえて話されました。

各地で「敬老の日」の集いが開かれる時期になりましたが、今年は日野原先生のお話を紹介するつもりです。

高齢時代の生き方に直球勝負。