鉄人衣笠氏の逝去

※※※4月24日(火)※※※

プロ野球記録の2215試合連続出場を果たし、「鉄人」と呼ばれた元広島の衣笠祥雄氏が23日、上行結腸がんのため71歳で逝去されました。

~ ~ ~ 1947年1月18日、京都市生まれ。 65年、平安高3年時に捕手として甲子園に春夏連続出場し、ともに8強入り。

66年、広島東洋カープに入団してから内野手に転向。 76年に盗塁王、84年に打点王を獲得し、5度のリーグ制覇、3度の日本一に貢献。

87年にルー・ゲーリッグが保持していた2130試合連続出場の世界記録を破り、プロ野球記録を2215試合に伸ばし、同年に現役を引退。

1970年から18年間にわたって全試合出場を続けながら、打点王、盗塁王にも輝いた。度重なる死球にも負けず、国民栄誉賞も受賞した不屈の男。

通算2677試合で打率2割7分、504本塁打、1448打点。MVP(84年)、正力賞(84年)のほか、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞各3回、オールスター出場13回。 1987年に野球殿堂入り。 ~ ~ ~

私と衣笠氏との出会いは、1973年に私が広島大学に入学し、広島市民球場で場内案内のアルバイトをしていた時でした。

この時に、試合前の練習時に衣笠氏と2度ほど挨拶を交わさせていただきました。

当時、私は広島大学野球部の選手、捕手をしていましたので、「頑張れよ」と一言声をかけて頂いたことを覚えています。

また、この年にカープが櫃優勝し、広島の街が沸きに沸いたことは、一生忘れない思い出です。

ちなみに、私がプロ野球選手から声を掛けてもらったのは、この時と中学1年生の時に甲子園球場の外野席で、試合前のランニング中の長嶋選手に「ヘイ、ボーイ」と手を振っていただいたことの2回だけです。

2130試合連続出場の世界記録を樹立した時、 「私に野球を与えてくれた神様に感謝します」との名言をのこしたのも衣笠氏らしいと感じました。

私にとって衣笠氏は、長嶋氏と共に記憶にも記録残る名選手です。 心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。

記憶に残る名選手に直球勝負。