女人禁制の歴史②

※※※4月11日(水)※※※

「女人禁制」は、狭義には信仰に関わる慣行です。

女性に対して寺社や山岳の霊地、祭場への立ち入りを禁じ、女性の参拝や修行を拒否することであり、山の境界は「女人結界」と呼ばれていました。

「女人禁制」の歴史は古く、いわれも複雑ですが、大きく分けて次の3つの要因が挙げられます。

①「禁欲主義に基づく考え方」(男性の修行の妨げになる思想)

古来山は信仰の対象であり、畏怖の念をもって拝むことが通常で、山頂に登ることは禁忌であった。

日本の山岳信仰と仏教の山岳修行が融合して修験道(山を歩くなどして霊力を身に付けようとする実践)が普及すると、山は神聖な場所であると同時に厳しい修行の舞台になる。

その修行の場から、性的な欲望を掻き立てる存在としての女性を排除しようとの考え方。

②「血の穢れの概念に基づく考え方」(女性の血を不浄とする思想)

穢れ(不浄)とは、程度の差こそあれ多くの文化で世界的に見られる観念であり、穢れたものに触れると穢れは伝染するとされている。

日本では穢れには死を意味する黒不浄、出産を表す白不浄、経血を表す赤不浄の3種類が存在するといわれる。

その内、特に女性は血の穢れである白不浄と赤不浄の2つと切り離せないことから、女性が不浄とされたことに関わる考え方。

③「仏教の教義と戒律に基づく考え方」(女性劣位の思想

仏教には守るべき基本的な規定である「五戒」があり、その中の「不邪淫戒」(=姦淫をしてはならない)が禁欲主義の根拠となっている。

出家僧であれば「不邪淫戒」は当然守るべき戒であり、寺院や聖域への女性の立ち入りを禁じることは自然の成り行きで、出家という出世間の行為に付随する当然の帰結であった。

もともと仏教には女人罪業観という女性劣位の思想がある。 そのため男女の双方に平等に課せられたはずの「不邪淫戒」が女性を排除する方向に突出してしまった。

※こうした要素が相互に、複雑に影響し合い、女性だけが入れない境界である女人結界が生まれ、次第に女性排除の様相を帯びる「禁制」へと展開した。

鈴木正孝(文学博士)『女人禁制』(弘文館刊)から

女人禁制に直球勝負。