許し難い言葉の軽さ

※※※8月31日(木)※※※

「(政治家になる)動機は私は問わない。 結果が大事だ。 いくら動機が正しくても、何百万人も殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんだ」

麻生太郎副総理兼財務相がおととい、自らの自民党派閥の研修会でこう語ったと報道されました。 「またか」と思い、「治らんな」とも感じました。

これでは、ヒトラーが率いたナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)に、「正当な動機があった」と言っているに等しいと言えます。

その証拠に、テレビのニュースを観ても、麻生氏は、「動機が正しくても」と2度も繰り返しています。

ナチスは強制収容所にユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害し、数百万人が犠牲になった。 残虐極まる蛮行に正しい動機などありえません。

欧米では、ナチスやヒトラーを肯定するような閣僚の発言は直ちに進退問題につながることで、麻生氏が、このような発言を国内外に発信した責任は重いと言えます。

批判を受けて麻生氏は昨日、発言の撤回を表明し、「ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らかである。 例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とのコメントを発表していますが、 首相や外相を歴任した政治家として、あまりにも軽すぎる発言です。

麻生氏は、2013年には憲法改正をめぐり、「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。 だれも気づかないで変わった。 あの手口に学んだらどうかね」と発言した前科もあります。

そして、批判を浴びると、今回同様「誤解を招く結果となった」と撤回していますが、政治家にとって言葉は命です。

この様な政治家が、国政の重鎮と言われるような国では、何とも情けない。 言葉に対する無神経さに憤りを禁じえません。

許しがたい言葉の軽さに直球勝負。