ピカドンの真実②

※※※8月7日(月)※※※

昨夜の「NHKスペシャル」は、「原爆死・ヒロシマ72年目の真実」というタイトルで、私が昨日から書いている「ピカドンの真実」を具体的に実証する内容でした。

広島市が保管していた150点の情報をもとに、ビッグデータを駆使し、55万人の動線を描き、そこに気象や記録画や証言などを重ねて、8月6日にピカドンが投下され、被災してから亡くなるまでを可視化した大作でした。

広島に原爆が投下されたのは、昭和20年8月6日の8時15分でした。  この時間は、工場労働者が仕事を始め、子供達が外に遊びに出る時間帯で、米軍はそこを狙ったことが、米空軍史に残っています。

原爆投下により、広島では約14万人、長崎では約7万4千人が死亡しましたが、2都市への原爆投下で死亡したのは、ほとんどが戦闘員ではなく一般市民でした。

また、当時の広島には米国人捕虜がいて、原爆によってその捕虜23人も死亡しています。 国際赤十字がそのことを確認しましたが、米当局は公表をせず、遺族には被爆して死亡したことはおろか広島で死んだことさえ知らされていませんでした。

ちなみに、広島に米国人捕虜がいたことは、英国情報部から通告されて米国側は知っていた様です。 しかし、それに構うことなく広島に原爆を投下しました。 米国は、捕虜になっていた米国人の命よりも、原爆の効果を確かめることを優先したのです。

一般市民を無差別に大量虐殺したり、自国民も巻き添えにする様な行為は、「戦時国際法」違反で、これが行われたこと自体問題です。

しかし、最近大きな問題となっていることは、この原爆投下が戦争を終結させるためではなく、タイプの異なる原爆を落とし、2種類の原爆が兵器としての殺傷能力や都市や人に与える被害の効果を見るための「人体実験」だったという真実です。

原爆投下後、日本に進駐してきた米国は、広島と長崎に「原爆傷害調査委員会」を設置して放射能の影響調査を始めました。

ここに生存者を連れて行き、血液を採取し、傷やケロイドの写真、死亡した被爆者の臓器などを摘出して、様々な調査や記録を行っていましたが、治療をすることはほとんどありませんでした。

被爆した人を治療すると言って病院に入院させたが治療を全くせず、その後に死亡すると司法解剖して臓器などをホルマリン漬けにして保存し、米国に持って帰り分析もしていました。

「原爆傷害調査委員会」が広島と長崎から収集した医学データとビキニ環礁での原水爆実験のデータを利用して、爆心周辺で放射線から身を守るにはどのような服装にすればよいかなどについて、米国「国防総省」で研究していたことが、米国の文書から確認されています。

戦後70年を超えた今でも、「ピカドンの真実」に関して、報道されていない事、我々に語られていない事の多い状況には、驚くばかりです。

ピカドンの真実に直球勝負。