権力者こそ忖度を

※※※6月21日(水)※※※

今日は雨の一日、終日、一般質問の原稿執筆。 テレビでは、「加計学園問題」に関して、新しく文科省から出た内部文書について報道されていました。

新文書は、文科省から発表されたメールで、文科省関係者が共通理解するための内容が記載されており、萩生田官房副長官の「ご発言内容の概要」が記されていました。

この中で、萩生田氏から「総理の強い意向」だとか、「最終決定日程が切られている」だとか、圧力的な働きかけがあたことが克明に記されていた様です。

萩生田氏は「そんな発言はなかった」と否定し、松野文科相も、この文書について「著しく正確性を欠く文書」としていますが、公表した以上それなりの重みのある内部文書であるはずです。

また、あるテレビ局のキャスターは、「仮に、この文書の内容が正しかっても、何が問題なのか」、岩盤規制を打ち破るべく「法に則り、手続きをしただけ」などの発言をしていました。

私も、岩盤規制を打破するための「特区制度」は、必要であると思いますし、この度は注意深く手続きを進められたのだと思います。

その意味では、政治的・合成手続的には問題はなかったのかも知れません。 しかし、岩盤規制打破を敢行する側とこの恩恵を受ける側との関係には、当然、然るべき距離感が必要です

恩恵を受ける側が首相の「腹心の友」であったり、総理夫人が同学園の付属幼稚園の名誉職についていたり、また、官房副長官がこの学園系列大学の講師を務めている関係は極めて異常です。

権力者は、仮にこの度の決定が合法的であり、政治的にも不正(金銭授受)などがなかったとしても、やはり、道義的に見て問題があるとしか言いようがありません。

それこそ、権力者が「忖度」して、この学園に関わることだけ止めておこうと判断すべきではないでしょうか。 それが、本来の「忖度」という意味ではないでしょうか。

それが政治家に求められる「徳性」であり、政治家が持つべき「資質」だと思います。 それを開き直るなんて、それこそ「ゲスの極み政治」、子ども達に「道徳」を説く資格はありません。

政治家の忖度に直球勝負。