高校野球の精神

※※※5月15日(月)※※※

去る14日、熊本県で行われた高校野球の招待大会で、秀岳館高(熊本)と招待校の早実高(東京)試合が行われ、この試合の9回、早稲田の攻撃中に「事件」は起きました。

試合は秀岳館が5-1とリード、早稲田の攻撃も2死走者無しで打者は2番・雪山。 次打者は怪物スラッガー・清宮幸太郎選手という場面で、秀岳館は2番打者を敬遠し、清宮との勝負に出ました。

通常5-1とリードしている場面なら、2番で勝負して試合終了に持ち込むのが常道です。 結果は、二死一塁という場面で、清宮は4球目を打ち一塁ゴロに倒れて試合終了でした。

秀岳館・鍛治舎監督は「甲子園で当たるかもしれない相手。 真剣勝負だからどうかなとも思ったが、投手が試合前から勝負したいと言っていた。 見方はいろいろあると思うが、招待試合なのでこうなった。 甲子園ではありえない」と説明しました。

この鍛治舎監督の采配について賛否両論が巻き起こり、侃々諤々の論議が戦わされています。 そこで、私も参戦し、持論を展開します。

【賛成派】

○折角の招待試合、清宮目当ての6000人の観客を沸かせ、エース田浦に経験を積ませる鍛治舎監督の「粋な計らい」に賛成。

○清宮くんと田浦くんの勝負は絶対見たかったし、おかしいとは思わない。大変盛り上がり、むしろ、よくぞやってくれた!という感じ。

【反対派】

○高校野球を見てる人と、清宮くんを観に来た人とでは層が違う。 プロのオールスターならわかるが、高校球児は見せ物じゃない。 アマチュアではありえず、白けた。

○注目選手ならではの騒動とはいえ、勝負を避けられた雪山も勝負された清宮も純粋な勝負から外れた勝負に悔しさは残るはず。 高校野球は教育の一環という精神から大きく逸脱している。

【冨 波】

私の実体験① 高校3年生の夏の大会決勝戦の9回、膳所高7-1とリード、相手チームの最後の打者である4番打者が本塁打を放つ。 この打者がホームインした時、膳所高捕手であった私がが握手を求め、相手も応じた。(規則では、本塁打を放った選手に3塁コーチャーでも触れることは禁止されている)

この一件は、実は私の後ろにいた主審からやかましく言われ、強要されてやったことですが、今となっては良い思い出です。 この時の相手選手も滋賀県の教員となり、お互い人情派教員として長いお付き合いをしていました。

私の実体験② 膳所高校野球部監督時代、大阪PL学園と練習試合を行う。 得点は5回終了時で0-10と一方的な展開。 しかし、PL学園・中村順二監督は最後まで公式戦並みの選手起用や采配を行う。 最終的に0-17で敗れるが、私も選手も清々しく、ありがたく感じた。

この時の体験は、私の監督感・教員感・人生観を一変させられました。 「鬼のとば」と言われた指導方法を大きく変えたのもこの時からでした。 また、私のキャッチコピー「直球勝負」もこの時の、どんな場合も最後まで全力を尽くすことの大切さを学んだことからの想いです。

【結 論】

教育の一環として、時には超規則的な采配もあると思いますが、あくまでもそれは自分だけの想いであってはならないと考えます。 自チームの投手の都合だけが優先され、雪山選手に対する思いやりに欠けていた様に感じられました。 よって、私はこの采配に反対です。

かつて星陵高の松井選手が全打席敬遠されるという事件がありましたが、これはあくまでも真剣勝負のための采配でした。 勝負の結果は残酷であっても、勝負は真剣であるべきで、その方が双方清々しい気持ちになります。 よって、私はこの采配に反対です。

高野球の精神に直球勝負。