泥臭い父の愛情

※※※3月2日(木)※※※

今日3月2日は、2004年(平成16年)3月5日に79歳で亡くなった父の誕生日です。 1925年(大正14年)生まれですので、生きていれば92歳でした。

父が亡くなって、早くも13年が過ぎましたが、随分前のことのような気もしています。

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父は社交的でまめ、情が深くて、お節介な性格、酒は強い方ではありませんが、酒の席がとても好きな人でした。

また、よく働き、よく動く達者な人で、手先の大変不器な人でしたが、生き方は愚直で不器用でした。

父は私より6歳上の兄にはとても厳しかったのですが、私は父にとても可愛がられて成長しました。

多分、次男坊の私は、兄が叱られているのを見て育ちましたので、調子良く、要領よく、如才なく達振る舞えたことが原因だったのかもしれません。  そして、父が期待する以上に何でもやってのけたことも影響したのかも知れません。

しかし、そのことで、父は私のことを必要以上に可愛がってくれて、その事を少々うっとうしくも感じていました。

例えば、昭和47年の夏、甲子園出場が決まった時は、JRびわこ線の野洲駅手前の民家に、私の個人名が入った看板を立ててしまいました。勿論、これは高校野球連盟の規則違反行為です。

また、大学時代に広島県から帰省すると連絡を入れると、京都市上鳥羽辺りで新幹線沿線で旗を振って出迎えるなど、丸でNHKの朝ドラ「あまちゃん」の1シーンみたいな事もありました。

でも、その「不器用で泥臭い愛情」が妙に嬉しくもありました。 今では、とても懐かしい思い出ですし、その父の気持ちも痛いほど分かる年齢となり、感謝しています。

父は決して甘い親ではありませんでしたが、私への愛情は人一倍だったと思います。  甘やかすのではなく、親として最大の信頼を寄せていてくれた気がします。

「言って聞かせ、やって見せ、やらせてみて、褒めてやらねば、人は育たじ。」  山本五十六の言葉ですが、今更ながら、不器用な父の愛情を感じています。 合掌。

父の愛に直球勝負。