フェノロサの先見性

※※※2月5日(日)※※※

インバウンドで日本を訪れる外国人の数が、今年は2000万人を超える日本ブーム。 同時に、日本の製品・農産物・日本食、そして、日本人の精神や文化など、「クール・ジャパン」が海外で受けています。

さて、アーネスト・フランシス・フェノロサ(1853年、米国マサチューセッツ州生まれの政治学者、哲学者。 1878年(明治11年)に来日し、東京大学で教鞭を執る。)をご存じでしょうか。

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明治以降の日本の急激な近代化=「脱亜入欧化(日本・アジアではなく、欧州を真似よう運動)」のうねりの中で、日本の伝統美術の荒廃にストップをかけてくれた恩人です。

フェノロサは、教鞭を執るかたわら、日本の美術品を収集しつつ、日本美術の素晴らしさを日本人に説いて廻りました。 日本人より日本人らしい、近代日本の恩人です

明治維新で何でもかんでも外国を真似ようとする日本の風潮に釘を刺し、日本人の手で日本の高尚な芸術が破壊、散逸して行く状況にストップをかけてくれたのです

特に日本美術・日本がについて、「油絵は煩雑にして、日本画は簡潔なり。 二者果たしていずれか是(良)なる。 日本画の簡潔なるは、かえってはなはだ勝れりとする。」(日本画の簡素な方が優れている。)とも断言しています。

しかし、それより嬉しいのは、「日本はいつも生まれ変わる。」という予言です。 日本の伝統芸術の素晴らしさから、日本人の優秀さを見抜いたフェノロサの予言は的中します

日本は、明治維新を実現し、第二次世界大戦敗戦から立ち上がり、高度経済成長を成し遂げ、阪神・淡路大震災、東日本大震災などを乗り越え、今や世界屈指の先進国です。

そして、今、世界は日本、日本人の本質的な部分、精神や文化、人間性に注目し、そのクールさ(賢さ・高尚さ)、まさに、「クール・ジャパン」に注目しています。

この日本の本当のクールさをいち早く見抜き、世界に発信したのがフェノロサでした。 そして、日本の中でも「近江」をこよなく愛してくれました。

1890年に帰国後、1908年にロンドンで死去し、現地で埋葬されましたが、フェノロサの意志により火葬の後、日本に送られ大津市の園城寺(三井寺)法明院葬られました。

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フェノロサの先見性に直球勝負。