宗教とは何か

※※※7月20日(水)※※※

今日は、この神仏習合の象徴的な言葉、「猫も杓子も」の話しです。

私は、1979年3月24日に、京都の平安神宮で神式での結婚式を挙げました。 地域の行事神社の氏子でもあり、勿論、我が家には神棚があります。

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また、我が家のお墓は、京都清水寺の真下、五条坂の浄土真宗太谷派の墓地「大谷本廟」の一角にあります。 願い寺は、我が町の清流山「連照寺」で、私は仏教徒です。

ですから、例年、年初めの初詣は、先ず、平安神宮に行き、そして、次に大谷本廟へと廻ります。 つまり、我が家の初詣は神仏習合です。

実は、表題の「猫も杓子も」の「」とは「禰子」のことで、これは神道の信者のことです。 また、「杓子」とは「釈子」で、これは仏教の信者のことを指します。

つまり、「神道信者も仏教徒も」という意味から、「どんな人も」、「誰も彼も」から、「どいつもこいつも」という意味で使われています。

神仏廃合が行われる前までは、神道と仏教は渾然一体となっていましたから、何の不思議もないのですが、この宗教の在り方は中々難しいものです。

世界の3大宗教は、イスラム教・キリスト教・仏教と学びましたが、どうやら、私たちがこの様に「宗教」と一括りにしている事自体に無理がある様です。

さて、最近のイスラム教、イスラム圏を巡る論争、紛争、特に世界的なテロの多発については、いくら本を読んでも理解しがたい面があります。

テロ行為を容認することは絶対にありませんが、何かしら、釈然としない感情が残ります。 それが、彼らの厳しい社会環境や貧しい生活を見ることから来るのかどうかは、自分でも分かりませんが。

「猫も杓子」も「イスラム教徒」も、同じ人間として平和を求めていることに違いはないはずです。きっと。

もっと、「憲法第9条」を戴く、真の平和主義国家として、積極的に関わる術はないのかと思う毎日です。

世界の宗教に直球勝負。