今日は、滋賀学園中学校・高等学校にお邪魔しましたが、校長先生と教育談義に花が咲きました。
そこで、田村 一二氏の「しつけとは、どういうことですか?」を思い出しましたので紹介します。
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息子がまだ小さいとき、何度叱っても、どうしても履物をきちんとそろえられなかった。
そこで、私が尊敬する糸賀一雄先生に「しつけとはどういうことですか?」と尋ねると、先生は、「自覚者が、し続けることだ。」とおっしゃる。
「自覚者とは?」と聞くと、 「それは君じゃないか。 君がやる必要があると認めているんだろう? それなら君がし続けることだ。」
「では、子どもは?」と聞くと、「放っておけばいい。」との返答。 そこで、家内も自覚者の一人に引っ張り込み、実行してみた。
実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを目の前で、息子がバンバン脱ぎ捨てて上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思った。
しかし、糸賀先生が放っておけとおっしゃったのですから、仕方ない。
私は叱ることもできず、腹の中で、 「くそったれめ!」と思いながらも、自分の子供であることを忘れて、履物をそろえ続けた。
すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、だんだん息子のことも意識の中から消えて行き、そのうちに履物を並べるのが面白くなってきた。
外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている自分に気がついた。
さらに続けていると、そのうちに、そういう心の動きさえも忘れてしまい、ただただ履物を並べるのが趣味というか、楽しみになってしまった。
それで、はっと気がついたら、なんと息子どもがちゃんと履物を並べて脱ぐようになっていたではないか。
私や家内が履物並べを楽しみ始めたとき、息子はちゃんとついてきたわけである。 。
「自分が楽しんでこそ、人もついてくる。」という人生観を、私は履物並べから学んだ。
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孔子の言葉に、「これを楽しむ者に如かず」というのがありますが、口先だけで人に、「こら、やらんかい。」とやいやい言うだけでは、誰もついて来ません。
ここに教育の大事なポイントの一つが あると思います。
教育の核心に直球勝負。