平家物語に登場する白拍子の「妓王」は江部荘(野洲市中北・永原・北)の生まれです。
父はこの地の荘司でしたが、保元の乱(1156)で亡くなると妓王は白拍子になり母と妹(妓女)と共に京に上洛します。
京の都で妓王の舞や容姿が評判となり、清盛の寵愛を受ける身となります。
ある時、清盛から「何か望みはないか。」と尋ねられた時、妓王は「故郷、江部荘の田畑の水不足解消のため水路を造って欲しい。」と願い出ました。
これにより、野洲市三上の野洲川から琵琶湖までの約12㎞の水路開削工事が行われ、この水路工事により江部荘の田畑は潤い、米処となります。
村人は妓王への感謝を込めて、この水路を「祇王井川」と名付けました。 800年以上を経た現在でも、祇王井川は農業用水として流れています。
生誕の地、野洲市中北には妓王と母・妹を弔う「妓王寺」が建立され、毎年、8月25日の妓王の命日には法要が営まれています。
妓王の没後、約500年後に、松尾芭蕉の師匠である「北村季吟」という俳人が、妓王の生誕地江部荘の近くに生まれます。
その季吟が妓王の遺業を偲び詠んだ句に「妓王井に とけてや民も やすこほり(小堀)」があり、野洲の住人の感謝の気持ちの程が分かります。
妓王の偉業に直球勝負。


