隠し球は教えない

※※※6月17日(日)※※※

私が、大学野球の公式戦で初めて試合に出たのは、1973年(昭和48年)の5月です。 場所は呉市の二河球場、背番号は勿論、12番でした。

相手は、某有力大学でしたが、ここで高校時代もなかった、人生初の「隠し球」を経験しました。 

打球が三塁線を破り、私が二塁ベースへ滑り込むのと同時に左翼手の返球が遊撃手のグラブに収まりましたが、私の足の方が一瞬早くセーフ。 大学の初安打は2塁打でした。

その直後、遊撃手はタイムを取りマウンドへ行き、投手と何やら一言話してから、投手のおしりをポンと叩いて定位置へ戻りました。 一連の動作から、プレーは再開されたと思いました。  

そこで、投手がマウンド上で打者に向かう姿勢を取るのを見て、2塁ベースから離れた瞬間、後ろにいた遊撃手がグラブで私にタッチをすると同時に2塁審判が「アウト」を宣言しました。

「隠し球」が見事に成立したのですが、実は、私は隠し球のプレーにはまったことが無いどころか、したこともありません。 はっきり言って、「してはいけないプレー」だと思っていました。

高校野球の指導者となってからも、この私の経験は選手達に教えましたが、隠し球をする事を教えたことはありません。

卑怯なプレーはしない、教えない」、それが、指導者としての矜持でした。