「旅に病んで、夢は枯れ野を かけ巡る」 これは、松尾芭蕉が大阪で死ぬ4日前に詠んだの「辞世の句」です。 芭蕉の命日は、「芭蕉忌」あるいは、「時雨忌」とも呼ばれます。
高校時代の古典の授業で、芭蕉が晩年、自作に求めた境地は「軽み」と学んだことを覚えています。 この「軽み」の真の意味は、「澄み切った無私の境地、自他一如の世界」です。
「胸中一物無きを貴(とうとし)とし、無能無知を至(いたり)とす」 (心に何のわだかまりも無いことを至高とする)と表した「軽み」の精神です。
しかし、毎日毎日がわだかまりだらけの私には絶対に到達し得ない境地です。
この度の衆議院総選挙の与野党の政争、ドタバタ劇をみていると、正に党利党略・私利私欲。 「利己」が横行する現代にこそ、見直されるべき芭蕉の「軽み」の神髄です。
県議会でも同じことです。 「粛々と 毅然と臨む 議場かな」 ( よしあき)
軽みの真髄に直球勝負。