第38回「八夫自治区運動会」にお招き頂きました。 5年目にして、始めて徒競走に参加させて頂きました。
「八夫(やぶ)」は、私の母の故郷で、私が幼い頃は、この地域で良く遊んだものです。
毎年、お招き頂いていますが、いつ寄せて頂いても、三世代が揃って参加されるアットホームな大会です。
さて、野洲市の小さな在所である「八夫」の私の母の実家「北脇家」の前に、小さな碑が建っており、これには、「広瀬宰平、伊庭貞剛 生誕の地」と刻まれています。
広瀬 宰平(ひろせ さいへい)と伊庭 貞剛(いば ていごう)は、八夫で生まれ、幼少期を過ごしています。 そして、この二人こそ、住友財閥の基礎を築いた功績者です。
「 広瀬 宰平 」 ・・・ 1828年6月16日、近江国野洲郡八夫村の医者、北脇理三郎と美根子の次男として生誕、幼名駒之助。
初代住友総理人であり、幕末明治期に住友財閥と大阪財界発展の基礎を築いた実業家。
「 伊庭貞剛 」 ・・・ 1847年、近江国蒲生郡西宿村(近江八幡市)の伊庭正人の長男として、母、北脇田鶴子の実家(近江国野洲郡八夫村)で生まれ、7歳まで育つ。
幼名は耕之助。 明治時代の実業家、第二代住友総代理人である。 「別子銅山中興の祖」と言われる。
広瀬、伊庭、いずれも「八夫」の生まれで、「北脇姓」です。
しかも、この「北脇」の「脇」の漢字は、正式には「月編」に「力」3つではなく、「刀」が3つです。
私の母も「刀3つ」の「北脇姓」ですので、よくこの話をしてくれ、「くれぐれも『刀3つ』やで。 間違うたらあかんえ。」と注意されたものです。
八夫の誇りに直球勝負。