住友財閥中興の祖

※※※3月17日(日)※※※

今日は、少々肌寒い天候でしたが、私の母の生まれ故郷である旧中主町「八夫(やぶ)」地域を歩かせて頂きました。

私の母の生家「北脇家」の前に、「広瀬宰平伊庭貞剛 生誕の地」と刻まれた小さな碑が建っています。

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広瀬 宰平(ひろせ  さいへい)と伊庭 貞剛(いば  ていごう)は、八夫で生まれ、幼少期を過ごしています。 そして、この二人こそ、住友財閥の基礎を築いた功績者です。

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「  広瀬 宰平  」 ・・・ 1828年6月16日、近江国野洲郡八夫村の医者、北脇理三郎と美根子の次男として生誕、幼名駒之助。

初代住友総理人であり、幕末明治期に住友財閥と大阪財界発展の基礎を築いた実業家。 

「  伊庭貞剛  」 ・・・ 1847年、近江国蒲生郡西宿村(近江八幡市)の伊庭正人の長男として、母、北脇田鶴子の実家(近江国野洲郡八夫村)で生まれ、7歳まで育つ。

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幼名は耕之助。  明治時代の実業家第二代住友総代理人である。 「別子銅山中興の祖」と言われる。

広瀬、伊庭、いずれも「八夫」の生まれで、「北脇姓」です。 しかも、この「北脇」の「」の漢字は、正式には「月編」に「力」3つではなく、「刀」が3つです。

私の母も「刀3つ」の「北脇姓」ですので、よくこの話をしてくれ、「くれぐれも『刀3つ』やで。 間違うたらあかんえ。」と注意されたものです。

そんなプライドが、今も「八夫」の地域と人々の心に伝統として息づいているように感じられました。

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八夫の誇りに直球勝負。