野洲プライドとは

※※※1月5日(土)※※※

野洲市新春奉賀会にお招き頂き、祝辞を述べさせて頂きました。

~ ~ 皆様、改めてまして新年明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い致します。                            

以前にも一度、お話しさせて頂きましたが、日本の中心地「日本のへそ」についてお話しをさせて頂きます。

現在、「日本のへそ」を自称されている地域は、幾つかあり、「日本へその町協議会」という団体もあります。

主な「へその町」所を紹介しますと、先ず、地図上の緯度・経度で日本の中央地となる、北緯35度、東経135度に位置する 
兵庫県西脇市が挙げられます。

また、日本列島の最北端部である北海道宗谷岬と、最南端部の鹿児島県佐多岬を直線で結んだ南北線の真ん中に位置する群馬県 渋川市、この南北線に、さらに日本海側の最西端部と太平洋側の最東端部を結んだ東西線が交差する地点にある栃木県佐野市
 
さらには、日本の人口を緯度と経度のそれぞれで二等分する線が交差する地点に位置する長野県飯田市などが、我こそは「日本のへそ」であると宣言されています。

しかし、私はもっと単純に、全国47都道府県を、北は北海道から22都県、南は沖縄県から22府県をたどると、残るは3県、北に福井県、南に三重県、その真ん中が滋賀県となることから、滋賀県こそ「日本のへそ」だと考えています。

昨日は、三日月知事が年頭の挨拶の中で、安土城天守閣の復元に向けた大きな夢を語られましたが、正に「天下布武」の大号令が下されたこの近江の地、滋賀県こそ、「日本のへそ」に相応しい地点だと言えるのではないでしょうか。

次に、この滋賀県を北から琵琶湖を湖岸沿いに時計回りに南下すると、長浜市、米原市、彦根市、近江八幡市、そして次の5市目が野洲市、北から反時計回りに南下すると、高島市、大津市、草津市、守山市、次の5市目が野洲市となります。

つまり、野洲市こそ、「日本のへそ中のへそ」ではないかと言うのが、私の主張であります。

因みに、この「野洲」という地名の由来についてですが、【東京堂出版】によると、「近江」の名の由来ともなった「近つ淡海」、これは京の都から近い淡水湖と云う意味であり、つまり琵琶湖のことですが、この「近つ淡海」の豪族であった「安直」(やすの あたい)、漢字では、安心の「安」に直角の「直」と書き、「やすのあたい」と読みますが、ここから「やす」と 名付けられたと考えられると載っております。

また、【角川日本地名大辞典】によりますと、「やす」とは、湿地を表す「や」に中州を表す「す」で、「湿地の中の中州」を 表すと出ています。

私が小学生の頃には、野洲川下流にある「多くの中州」という意味で、多いことを表す「八」の漢字を当て、「八つの州」、 「八州」になったと先生から教わりました。

いずれが真実かは、分かりませんが、いずれにしても「野洲」という地名に、深い歴史とロマンを感じざるを得ません。

野洲市は三上山を始めとする山と里山、近江米の育つ田園地帯、琵琶湖の湖岸地帯と多彩な自然環境に恵まれています。

また、日本最大の銅鐸が出土した「銅鐸の町」としても知られ、数多くの古墳群や神社仏閣、平家終焉の地 ・平宗盛胴塚、
俵藤太や祇王・祇女の伝説、そして、北村季吟や土川平兵衛など、豊富な歴史や文化遺産を有しています。

さらには、国道8号線やJR東海道本線など交通アクセスにも恵まれ、野洲駅は始発・終点の電車が多い基地駅として利便性にも 優れ、京阪神への通勤圏内でもあります。

  私は、これら野洲の自然や風土、歴史・文化、地域性、そして、何より素朴で温和、勤勉な市民気質を心から愛し、野洲市民で あることに大きな誇りを感じています。

甚だ僭越ではありますが、私はこの感情を「野洲プライド」と名付けさせて頂き、今後はこれを高く掲げながら、野洲市選出の 県会議員として誇りを持ち、野洲市の益々の発展のために活動させて頂くことをお誓い申し上げ、一言のご挨拶と致します。

本日は、誠におめでとうございます。 ~ ~

画像に含まれている可能性があるもの:冨波 義明さん、スマイル
 
野洲市の発展に直球勝負。