野洲市の銅鐸文化

※※※10月23日(火)※※※

今日は、野洲市が誇る文化財埋葬、いわゆる、「銅鐸博物館」にお邪魔しました。 そこで、野洲市の銅鐸ついて紹介します。

1881年(明治14年)野洲市(旧野洲町)にある大岩山で遊んでいた2人の男子中学生が大中小3個の銅鐸を発見しました。

翌日、その話を聞 いて駆けつけた大人達によりさらに11個が見つかり、計14個の銅鐸が発見されました。

この銅鐸の中には総長134.7㎝という我が国で最大長の銅鐸も含まれていたため、滋賀県令から博物局長に届けられ、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)で詳細に調査されました。

しかし、地元の強い要望もあり、2個を東京に残して後は全て地元へ返還されたが全てが散逸し、現在地元には1個も現存して いません。

残り12個の内、10 個については、国内外の美術館、大学、寺院、個人等に散在していますが、所在は判明しています。

残る2個の銅鐸は現在も行方不明だそうで、当時の野洲の人々が、目先の欲望に負けて、世界に誇る 日本一の冠たる貴重な文化財を失ってしまったのは、誠に残念です。

その後、昭和37年に野洲市小篠原地先(こしのはら)地先の東海道新幹線の土取工事現場から、計10個の銅鐸が発見されました。

明治の銅鐸が散逸してしまったいることから、当時の滋賀県文化財課は、直ちに知事 に掛け合い保存センターを琵琶湖畔に設け、中央と掛け合ってこれを全て滋賀県に残す事に成功しました。

そのおかげで、この 時の10個の銅鐸は今も滋賀県蔵としてこの博物館にあります。

野洲市の銅鐸に直球勝負。