田中正造の大演説

※※※10月27日(土)※※※

 田中正造(1841~1913年)は、日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名です。 

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第1回衆議院議員総選挙で初当選した年、渡良瀬川で大洪水があり、上流にある足尾銅山から流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で起きました。

1900年、農民らがこの件で東京へ陳情に出かけようとしたところ、途中の群馬県邑楽郡川俣村で警官隊と衝突、流血の惨事となり、農民多数が逮捕されました。

1902年、国会でこの弾圧に抗議する「亡国演説亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」を提出、演説しています。

民を殺すは国家を殺すなり。 法をないがしろにするは、国家をないがしろにするなり。 皆自ら国をこぼつなり、財用をみだり、民を殺し、法を乱して、しかして、亡びざる国なし。 これ如何」 、これは日本の憲政史上に残る大演説と言われています。

1912年6月17日の日記には、「真の文明は山を殺さず、川を殺さず、村を破らず、人を殺さざるべし。」と記されています

1913年、死の直前の日記では、「物質上、人工人為の進歩のみを以てせば、社会は暗黒になり、電気開けて、世間暗夜となれり。」 と記しています。

昨今の立憲主義をないがしろにする様な「辺野古軍事基地新設問題」への政府の対応を見るにつけ、政治家田中氏の先見性、政治家の発言の重さを感じざるを得ません。

大政治家の先見性に直球勝負。