※※※9月26日(水)※※※
神社のおみくじが「凶」と出た場合、これをやばいと悲しむか、これを上昇の余地有りと喜ぶか。
「逆境は不幸」と考えるか、「逆境こそ好機」と考えるか。 はたまた、野に咲く千草を「愛おしく」感じるか、野にはびこる雑草を「気に入らぬ」と嘆くか。
世の中の物事や出来事は、同じものでも「見方(考え方)一つ」で喜びにも悲しみにも、感謝にも不満にもなり得ます。
日々の平凡な幸福を喜ぶ人がいる一方で、毎日毎日、不平不満ばかりをこぼす人がいますが、こういう人は、周囲のみんなも不幸にしてしまいます。
教員時代に、 「自分はとても不運な校長だ。 私がいた学校は、私が転勤した後にばかり活躍する。」と憚らずに言う校長に出会った事があります。
その校長の日々の思いやりのない言動は、教職員を傷付けるばかりで、職場の士気は著しく低下していました。
その結果、彼が校長でいる間、学校の様々な教育活動は低迷し、特に運動部は好成績を残せませんでした。
しかし、彼が次の校長と替わったとたん、学校の雰囲気は一変し、職員の士気は上がり、生徒達の大活躍が始まりました。
つまり、その校長は不運の下にいるのではないのです。 彼自身が周囲に不運の種をまき散らせ、その結果が不運を招いただけのことです。
踏まれることに不満を感じる雑草となるか、恵みの露に感謝を感じる野辺の花となるか。 そこに「幸と不幸」、「運と不運」の分岐点があります。
ものの見方に直球勝負。