五輪選手の謝罪

 

※※※2月15日(木)※※※

あるジャーナリストから、五輪で敗退し、謝罪の弁を語る日本選手への問いかけです。 

~ オリンピックなどのビッグイベントではしばしば、日本人選手がテレビの向こうにいるファンに向けて、涙ながらに謝る姿を見るが、何故、日本人選手は「謝」”のか。 スポーツの勝敗は誰のものなのか。

期待通りの結果を残せなかった時、日本の選手はお詫びの言葉をよく口にします。 期待通りの結果を出せなかった時やチームの足を引っ張るようなプレーをしてしまった場合「申し訳ない」と言います。
外国選手は、負けたときでもあまり謝らず、サポートしてくれた周囲、応援してくれたファンに感謝の言葉を述べますが、日本の選手はよく謝まります。

これは文化の違いから来るものだから、どちらが良くて、どちらが悪い、という種類のものではありません。

「何かをしてはいけない理由」を教えるとき、キリスト教文化圏では「神の命令だから」、日本文化圏では「他人に迷惑を掛けるから」とされることが影響しているのだと思われます。

オリンピックなどの国際的な大会では、各競技団体や指導者など、選手を直接的にサポートしている人からの期待や世間からの期待も大きなものがあります。

世間の選手への期待が大きく膨らむのは、マスメディアが選手への期待を大きく煽ることが影響を及ぼしていると思えます。

人の脳には「心地よい」という感覚を生むための装置である「報酬系」というドーパミン神経系があります。

喉が渇いている人が水を飲むと、報酬系は活性化します。 実際に水を飲んだ時だけでなく、もうすぐ水を飲むことができると想像するだけでも活性化するそうです。

これをスポーツ報道に当てはめてみると、これから始まる大会で、「日本の選手はメダルを獲得できるかもしれない」と期待を込めた文脈で報じると、大衆は応援する選手の活躍を想像するだけで報酬系が活性化されます。

胸躍る瞬間を逃したくないと思い、中継や記事を求めますので、マスメディアはできるだけ多くの人に試合中継を視聴してもう、記事を読んでもらう仕事をします。

だから、無意識的であれ、意識的であれ、期待させるような報道になってきます。 これが、活躍を期待される選手に重くのしかかります。 明日へ続く。

五輪選手の謝罪に直球勝負。