三島由紀夫の生き様

※※※11月25日(土)※※※

1970年11月25日、この日は、私にとって忘れるに忘れられない日付です。

1970年11月25日、午前11時、作家三島由紀夫は、主宰する「盾の会」会員4名と共に新宿区市谷の陸上自衛隊東部方面総監部へ行き総監と面会しました。

三島らは、総監との面会後、総監を縛り上げ、自衛官を玄関に集合させることを要求しました。 そして、玄関前に集合させた自衛官に向かい、バルコニーから檄を飛ばしました。

その後、総監室へ戻り、三島は持参した短刀で腹を左から右へためらいなく切り自決、その三島の首を「盾の会」会員の古賀必勝が切り落としました。

いわゆる、戦国時代などに行われていた武士の「切腹」です。 当時多感な高校2年生だった私にとっては、このニュースを聞いた時、それはもう大ショックでした。

その夜は、体育館に全員が集められ、黒い顔した体育の先生に、私が代表として首を切られるという悪夢を見てしまいました。

何故、体育館なのか、何故、体育の先生であったのか、何故、私が選ばれたのかについては未だに不明ですが、とてもショックキングな出来事であったことは間違いありません。

私の趣味の一つに、歴史上の人物の「辞世の句」をそらんじることがありますが、それはこの時に三島が詠んだ辞世の句を覚えたのがきっかけです。

益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて 今日の初霜(武士が携える刀の鞘が、早く事を行えとせかすのを 何年も我慢してきたが、霜の降りた今日、いよいよ決行する。)

散るを愛う 世にも人にも先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐(自分が死んで行くのを嘆いてくれる世間や人に先駆けて死んで行くことこそが美学だと、決意を促す木枯らしが吹く。)

極右の思想家である作家三島の思想に共感するものではありませんが、爆発するがごとき決意と自決の覚悟が感じられる、勇ましくもはかない句だと思うからです。

彼は死の前に友人に宛てた手紙で、「私はずっと以前から、文人としてでなく、武人として死にたい。」と書いています。

今から、45年前、私が高校2年生の11月25日の忘れられない出来事です。

三島の生き様に直球勝負。