武士の時代の教育

※※※8月17日(木)※※※

今日は、終日に渡り、平成29年度9月補正予算に関する部局別の聞き取りを行いました。

教育委員会からの聴取では、補正予算の説明に先立ち、先日来報道されている高校教員の不祥事に関して、教育委員会幹部から謝罪がありました。

その中で、幹部の方から今回の不祥事の内容である飲酒・当て逃げ事件について、「教員としてあるまじき行為があった」との発言がありましたので、私は、これは「としてあるまじき行為」であると訂正を求めました。

さて、かつて、「武士の教育」において、最も重んじられたのは「武士の品性」を確立することでした。 「智・仁・勇」が武士道を支える柱であって、「知識・理論・弁舌」などの知的才能は第二義的なものという考え方です。

勿論、武士の教育を無条件で賛成するものではありませんが、武士の教育で人間として重んじられる価値構造と、今日の学校教育で進められる価値構造の違いについては、一考の余地があると感じています。

新渡戸稲造は、英文で発行された「武士道」(明治32年)の中で、「武士の教育」について以下の様に書いています。

今日の教育たるや、吾人をして機械たらしめ、吾人をして厳正たる品性、正義を愛するの念を奪いぬ。 一言にして言わば、我が祖先が以て、教育の最高目標となしたる品性というものを、吾人より奪いたるものなる。 智識の勝利、論理の軽業、あやつり、科学の無限なる穿究、これらはただ吾人を変えて思考する機械たらしむに過ぎざるものとせば、これ何の益があるや

頻発する教員や政治家の不祥事、そして、その内容の下劣さ。 これらを考える時、新渡戸の「武士の教育」を思い出さずにはいられません。

教員資質の本質に直球勝負。