「1月行く、2月逃げる、3月去る。」と言われますが、早いもので今日は4月18日の下旬にさしかかります。
「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)
満開の桜の美しさを愛でる間もなく、花散らしの風雨で風桜吹雪と散る花を名残惜しく感じる時期を迎えています。 正に、光陰矢のごとし。
昨夜、我が家の願い寺の「蓮照寺」の報恩講が営まれ参列しましたが、その際、法主からタイムリーなお話しをお聞きしました。
それは、親鸞聖人が弱冠9歳の時に詠んだとされる、「明日在りと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかわ」の歌です。
親鸞聖人が得度しようと青蓮院の慈円和尚を訪れた時、既に夜が更けていたので「明日にしよう」と言われたことに対して、こう詠んだとされています。
正に、明日はどうなるか分りません。 ならばこそ、「今できる事、今やるべき事を確実にやっておこう」という意味でしょうが、人の世のはかなさを例えた歌です。
雨や風、人の影響をとやかく心配し、文句を言うより、「今を精一杯に生きろ」という強烈なメッセージです。 散り始めた桜と昨夜の嵐、何か、心に深く感じる言葉でした。
儚い人生に直球勝負。