いわんや悪人をや

※※※12月2日(金)※※※

歎異抄たんにしょう)」とは、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の「言葉(=法話)」と、唯円(ゆいえん)の「嘆き(=歎異)」を収録した記録集だと、高校時代の日本史の授業で学びました。

この中の法話の中でも最も有名なものが、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の一文です。

この一文について、親鸞聖人750回忌大遠忌法要の際、我が家の願い寺のご住職さんから、丁寧に教えて頂ききました。

これは、「善行を行ってきた者でさえ阿弥陀様により極楽へと導かれるのだから、罪深い者こそ、阿弥陀様によって救われる」という意味だそうです。

また、親鸞は、「弟子一人も持たず候」の信念を貫きましたが、それは、「信仰は全て阿弥陀様のおかげ」であり、それを忘れて我が物顔で弟子を取るなど「かえすがえすもあるべからず」と言う理由からです。

親鸞を慕う唯円は、「たくさん寄付をすれば大きな仏になり、少しの寄付では小さい仏になる」という教えに対して、「奇妙奇天烈、不合理極まりない」と説きました。

「歎異抄」からは、阿弥陀様の教えから冥利を求めず、偽善を拒む、親鸞と唯円の真摯な想いが詰っているのだと、ご住職は熱く語られました。

今日は、定例県議会の代表質問が行われましたが、議場の議員さんを見渡しながら、この法話を思い出していました。 何故でしょうかね?

ひたすらのお念仏に直球勝負。