弱肉強食の掟①

※※※8月25日(木)※※※

この度起きた相模原市の障害者施設での大量殺傷事件で逮捕された青年は、障がいを持つ人達を「社会の役たたず」として、凶行に及んだとされています。

そんな折り、2011年6月1日のYahoo!知恵袋への質問「弱肉強食がなぜ人間の社会では行われないのか?」に対する回答が話題を呼んでいますので、紹介します。

【問】文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されてきた。優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないか。 自然界では「弱肉強食」という単語の通り、弱い者が強い者に捕食されるが、人間の社会では何故それが行われないのか?

【答】自然界は「弱肉強食」ではない。弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限らない。 例えば、虎は兎より掛け値なしに強いが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕している。

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」である。 個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」、全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死ぬ。

個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はない。 ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことである。

種レベルでは「適者生存」、この言葉は決して「弱肉強食」ではない。 「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るということだ。

「残る」とは、「個体が生き延びる」という意味ではなく、「遺伝子が次世代に受け継がれる」という意味であり、「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係ない。

そして、「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味ではなく「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ない。

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになる。

「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということだ。 明日へ続く。

人類存亡に直球勝負。