4月 12th, 2018年

議論の土俵が違う

2018-04-12

※※※4月12日(木)※※※

さて、日本における「女人禁制」の歴史を念頭に、4月4日に舞鶴市で起きた事件(土俵上で挨拶中に倒れた市長の救命処置に女性看護師が土俵上に上がった際に咎められた件)から、女性差別とを考えてみます。

①先ずは、4月4日の件は、土俵上での女人禁制のしきたりに基づき「女性の方は土俵から降りてください」のアナウンスがなされたことは間違だと言うことを明確にしておきたいと思います。

例えば、女性トイレで緊急の処置が必要になった場合のことを考えれば、近くに男女を問わず、当然、女性トイレ内に入り救命行為をすることは当然ですし、咎められもしないでしょう。

相撲協会も、これについて、「行司が動転して呼びかけた、適切な対応だった」、「応急処置をした女性の方々に感謝する」と八角理事長名義で謝罪と感謝の意を表明していますので、単なる間違いといえます。

②次に、その2日後に開催された宝塚市の大相撲地方巡業で宝塚市長(女性)が、土俵上での挨拶を希望したにもかかわらず相撲協会から断られたことについてです。

「女性や知事の市長も増えている。 女性の総理大臣が現れたとき、土俵に登ってはいけないのか」と意見したことが、さらに議論を賑わせています。

一昨日、昨日と2回に渡り書きましたが、日本社会の中には、古くは古墳時代から現在に至るまで、男と女という性別に基づく様々な制度が確立してきました。

この中には生物学上の男女差に基づく「区別や政治的な思惑に基づく「選別、宗教上の思想に基づく「差別などが混在しています。

ですから、ある人は「相撲」は男が行う「競技」だと言い、ある人は宗教上の「神事」と言い、また、ある人は歴史的な「制度」であると言います。

しかし、相撲は男女ともに行われていた競技ですし、神事は元々巫女という女性が行ってきたものですし、そもそも、土俵上の「女人禁制」は高々50年程度の歴史しかありません。

ましてや、土俵上で挨拶をすること位でその権威が揺らぐようなものなら、それを国技と名乗ることがおこがましい様な、些末なことの様に感じられてなりません。

相撲という伝統と男女平等をどのように考えるべきかは当然議論すべき対象ですが、この議論は相撲の伝統についての議論を戦わせるという「別の土俵」でやるべきです。

土俵の女人禁制に直球勝負。

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